東大生・京大生と勉強ができない人の決定的な違いと親の役割

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勉強ができる人の最高峰として挙げられるのが東大生、そして京大生ですね。

勉強ができない人からしたらわけがわからない存在です。

では、なぜこのような差がついたのか?理由を考えると、多くの人は昔からちゃんと勉強していたかどうかと答えるでしょう。

しかし私はそこが本筋ではないと思っています。

答えは、他でも多数言っている「自分で問題点を認識し、自ら考えられるかどうか」に集約していると思います。

頭がいい秀才に感じる違和感は子供らしからぬ自主性にある

雑誌やTVなどで東大生、京大生の秘密みたいな特集がありますよね。あれを見ていて気づいたのですが、彼らはやはり自主的に動いているということなんです。

東大に受かるような秀才の小中学生がTVで「天才だ!」「この子はなんか違う!」と思うのは、周りの同級生と明らかに違う何かを感じているからですよね?その感じている「差」が、子供らしからぬ「自主性」にあります。

頭がいい、勉強ができる子どものほど、大人から見て「しっかりしている」ように見えます。

この「しっかりしている」と感じる理由こそ「自主性」です。

子どもは通常、親や先生に何か言われてないと行動しません。特に勉強となると、「早く宿題やりなさい!」「もうすぐテストでしょ?勉強したら?」と親が子どもに行動をうながす機会が多いと思います。

しかし、将来に東大京大に合格するような子どもは、年齢に不相応な自主性を持っており、比較的自分で自ら勉強をする傾向があります。

勉強をするといっても机に向かっている状態のことだけではありません。ぼーっとしているようで、今日受けた授業のある部分を「なんでだろう?」と考えていたりします。その他勉強以外のことでも、「あっちのほうが良かったかな~」といろいろ自分で考えを巡らせています。

これこそ、「自分で問題点を認識し、自ら考えられるかどうか」なんです。

勉強がすごくできる子にあった2つのタイプ

この「自分で問題点を認識し、自ら考えられるかどうか」は、子どものときにいかに勉強をしたかどうかで決まりません。

決めるのは親の教育・家庭環境・方針で大半が決まります。

私が小学生、中学生のときに感じた、「こいつ頭いいよな~」と感じていた人は、総じて勉強ができていてテストの点数も良かったのは事実です。

しかし、「頭いいよな~」という上辺だけでなく、「こいつにはかなわん」といった一歩以上の距離を感じていた人には、つっけんどんな嫌味を感じていませんでした。

また、何かをクラスで決めるときでも、ボソッと言った一言で決め事が好転したり、面倒くさくて放り出したくなることがなくなったりした記憶があります。

これって、「自分で問題点を認識し、自ら考えられるかどうか」という能力があるからこそ。

逆に、頭がいいというイメージはあるものの、正直あまり好きになれなかった人にそういった記憶はありません。

そしてこの両者の違いが、それぞれの家庭環境、親の方針によって生まれていたことが後で分かりました。

勉強しなさいは親の甘えでしかないし意味がない

テストの点数はいつも上位。勉強は確実にできる。でも…なんか好きになれない。ちょっと人に攻撃的だったり、何か近づきがたい雰囲気があったり…

このタイプの家は親がかなり厳しかったのです。それは周りにも知られていました。いわゆる教育ママ。

その子はかなりの進学校に進んだようですが、旧友から聞いた話では向こうで落ちぶれたそうで、その後の進路はあまり良くなかったようです。逆に前者のほうの子は順当な進路を進み続けたようです。

前者の子の親、家庭は、塾に行かせたりなど忙しくさせていたものの、子どもに強烈なプレッシャーを与えたり、勉強しなさいという強制的なことはどうやらなかったようです。

つまり、子どもが勉強できるようになるのに親の影響は相当強いものの、それを安易に「勉強しなさい」という強制でやってしまってはダメというわけです。

~しなさい、なんて誰でも言えますし、何も考えずに結果だけ求めるだけです。それが親の役割だとしたらお笑いです。

勉強してほしいから勉強しなさいとしつこく言う…

子どもが素直だとそれに従い勉強をするでしょう。勉強をすれば成績は上がります。しかし、それだといずれ破綻するし、何より「自分で問題点を認識し、自ら考えられるかどうか」という力が身につきません。言われないと考えられない子どもになりますし、自分から動かなくなります。

東大や京大レベルになると詰め込み学習では歯が立ちません。あのレベルになると、必ず「自分で問題点を認識し、自ら考えられるかどうか」という能力が必須になるのです。

そして、その後の人生、就職などにおいて役立つのはこっちです。テストの点数だけ子どもに取らせても、そのときの親のあなたの自己満足にしかなりませんよ?

子どもは「考えるべきポイント」に気づかないから親が気づかせるべき

逆に東大や京大に行くような子どもの親は、TVや雑誌などの情報を見ていると、「勉強しなさい」という強制じみたことは一切言っていないようです。

代わりに、子どもが自主的に考えるヒントを与えたり、迷う部分での後押し、人生の先輩としてのアドバイスといった会話が多いみたいですね。

勉強が自主的にできる子は、どこが問題点なのか?どこを考えればいいのか?どこを見ればいいのか?といったことに敏感です。

一般的な子は、自分が興味関心があることに限ってはこの能力があります。ゲームが好きなら、勝つためにはどうすればいいのか?このアイテムをこうしたほうがいいのでは?などと考えを巡らせますよね?これが勉強にも使えるようになると化けるのです。

頭が本当にいい子というのは、やってて別に楽しくもない勉強でもこの考えが適用できるからなんです。

そのきっかけとなるのが親の方針、親からのヒント、会話なんです。

勉強も良く言えばゲームなんですよね。攻略が必要なんです。結果は点数。自分で考えて達成したものが分かりやすい点数になるのですから、ゲーム性は確かにあるはずなんです。

この能力は、普段から「考えさせられること」が与えられるかで決まります。

ボーっとしている子がボーっとしているのは、考えるべきことがないからです。目の前に危機が迫っていてもボーっとしているのは、それが危機がだと気づいていないから。

勉強を自主的にするかどうかも同じ。考えられるべき、考えられることが勝手に目に入ってくる、だから自然に考える、それが癖になると、勉強はそれほど苦にならなくなり自然なことになります。

普段の会話で身につく子どもの自主性と将来の学力の向上方法

子どもは自分の知っていることを誰かに説明することが結構好きですよね。好きなことだと、率先して親にああだこうだと言うでしょう?だったら、勉強に関することに限らず、親から「あれってなんでだろうね?」という声掛けをしていけばいいのです。

知らなかったら子どもは「なんでだろう?」と考えます。この繰り返しが「自分で問題点を認識し、自ら考えられるかどうか」という能力を養います。

なんだっていいんです。「なぜ時計は右回りなんだろうね?」な「んで運動会の徒競走って運動場を左回りに走るんだろうね?」「もし食べ物が芋しかなかったらどうなるだろうね?」

といった豆知識的なことも考える、自分から動く癖を身につけます。

国語が苦手な子なら、「物語の主人公を変えるとしたらどんな子にしたらいい?」「あんまりおもしろくない話だね、どんな場面があれば面白くなりそう?」とテストに関係ないことでいいんです。

算数が苦手なこなら、「プレステ4のソフトを毎月1本買えるとしたら年間いくらかかる?」「あなたが高校生になってアルバイトするとするじゃない?時給っていうのがあって、1時間働いて1,000円もらえるの。何時間働く必要があると思う?」「しかも学校の授業が終わって、部活もやってたら残った時間でしかバイトできないよね?できそう?」

といった現実的なことでもいいんじゃないでしょうか?

また、「簡単に諦めるな」「困ったら一旦落ち着きなさい」「友達とうまくいかなかったら、まず自分に原因がないか考えなさい」「人の悪口は言わない。言っても何も変わらないよ。自分が嫌な気持ちになるだけだから」

といった人生の先輩としての心がけを、シンプルに伝え続けるのも大事。子どもには子どもなりのいろいろな悩みがあります。いざ困ったときに思い出すのは親から言われた言葉です。大人は今までの人生経験を元に支えとなる言葉や体験を拠り所にできますが、子どもの場合は親の言葉だけなんです。

迷うこと、悩むことが軽くなれば勉強に対するストレスも和らぎます。別に面白くもない勉強をやるのに、他の悩み事があればとてもやってられないでしょう。

ぶっちゃけ親子の間の会話に無駄なものってないんですよ。一番無駄なのが「勉強しなさい」なんです。これから何が生まれるでしょうか?子どものストレスと勉強したくないという嫌悪感の高まりだけでは?

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